我が家のルールブック

一歩一歩が最速の近道

山村英司氏の言葉

西南学院大学教授、山村英司氏の心に響く言葉より…

 

【寿司職人と「人情」】

 


入門者向けの経済学の教科書では、「人は他人のことを気にしない」ことを前提にしている。

 

つまり、自分のことだけを考えているのである。

 

確かに、空気を読まずに自分のことだけを考えているように見える人は多くいる。


しかし、実は他人の活躍に心の中で嫉妬心を募らせているのではないだろうか。

 

三省堂の『新明解 国語辞典』によれば、人情は「人ならばだれでも持っているはずの、人間味を感じさせる心の働き」である。

 

嫉妬心を募らせるのも、人情と言える。


一方、人情によって取引がスムーズになされる場合もある。

 

一人前の寿司職人になるためには下積み修行を10年ほど経験する必要があるという話をよく耳にする。

 

起業家であるホリエモン堀江貴文氏)は、このような「世間の常識」を批判する。

 

ホリエモンの主張によれば、センスと経営能力さえあれば1年もしないうちにプロの寿司職人を養成できるという。


経済学者からすると、ホリエモンの説に分があるように思えた。

 

フランスのパリで寿司職人をしている友人に、どちらが正しいと思うか質問をしてみた。

 

まずホリエモンの言い分に理解を示し、次のように回答した。


「確かに、条件さえそろえば、技術的には可能」

しかし、技術以外の2つの要素が重要だと言う。


第1に、うまい寿司を作るには良いネタを仕入れる必要がある。

 

ネタの良し悪しはネタが入ってくるまでわからない。

 

さらに、良いネタを見分け、なるべく安く仕入れることが必要だ。

 

経験がない人でも、センスが良い人は見分けることが可能かもしれない。

 

しかし業者は良いネタを隠し持っていて、昔からの取引がある名店にしか売らないそうだ。

 

要するに人間関係がモノを言うわけである。


第2に、寿司職人にはコミュニケーション能力や話芸が求められる。

 

とりわけ高級店に来てカウンターに座る客は、寿司を食すためだけに来ているわけではない。

 

社会的にも一定の地位につき、人生の荒波を泳いできた客が来店する状況を想像すると良い。

 

貫禄のある寿司好き紳士が、世間話や寿司のあれこれをネタにして話しかけてくるという。

 

客がどのような人物なのかを観察しつつ、相手を楽しませ愉快にさせる受けこたえをする。

 

なじみ客でも日によって機嫌の良し悪しがあるので、油断はならない。


一方で、神経を集中させながら寿司という名の芸術品を作るのである。

 

うまい寿司、そして愉快な会話も手品のように提供し、客を納得させる。

 

これらすべてを身につけているのが「一人前の寿司職人」なのだ。

 

寿司職人は寿司を作る芸術家であると同時に、経験に裏打ちされた「人情」のエキスパートなのだ。


もう一度考えてみよう、20歳代の若者が50歳を過ぎた食通紳士の相手ができるのか?

 

友人の結論は次の通りだ。

 

「センスが良くても、10年近くかかるだろう」


市場参加者が人間である以上、入門者向けの教科書には描かれない力学が働く。

 

「人情」を知らねば現実経済は見えてこない。

 

この要素を深く考えることができる者が「一人前の経済学者」である。


『義理と人情の経済学』東洋経済
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山村氏は「義理」と「人情」についてこう記している。

 

ハーバード大学の経済学者でジャッド・クレイマーという人がいる。

 

2019年にネットニュースで、クレイマー氏が日本の恩人を探していると報じられた。

 

14年ほど昔、高校時代の日本人クラスメートに会うためクレイマー氏は来日したという。

 

旅行の最中に地震が発生し、仙台駅で足止めにあった。

 

まだ高校卒業直後の貧乏旅行で、所持金はほとんどなく、泊まる場所のあてもない、日本語も全くわからない。

 

クレイマー氏は怖さと心細さで途方にくれた。

 

18歳のアメリカ青年に救いの手を差し伸べたのは「片腕がない仙台駅の30代くらいの駅員」だった。

 

その駅員はクレイマー氏を近くのホステルに連れて行き、宿泊代を支払ってくれた。

 

翌日になると切符の利用期限が切れていた。

 

そのことを知った「片腕のない駅員」は新幹線の切符をくれた。

 

この出来事はクレイマー氏の記憶に深く刻みつけられ、その後の人生にも大きな影響を与えた。

 

日本語を学び、日本の文化を学び、いつの日か「片腕のない駅員」に「日本のやり方でお礼」を伝えたいという思いを持ちづづけてきた。

 

2019年に来日したクレイマー氏は、仙台駅を訪れ「片腕がない駅員」を探したが、出会うことができなかった。

 

しかし「お礼を伝える」ためにに今も「片腕がない駅員」を探し続けているという報道がなされ、クレイマー氏が帰国後、無事その駅員が見つかったという。

 

おそらく二度と会うことがない外国の若者を助けるためにコストを負担する日本の「駅員」。

 

そして、「お礼を伝える」ことから経済的な見返りなどないとわかりながら、時間や労力というコストをかけて遠くアメリカから「駅員」を探す「経済学者」。

 

いずれの行動も、通常の経済学では説明できない。

 

クレイマー氏は、日本での体験や学習を通じて、日本的な「恩義」の意味を理解したのだろう。

 

そして、「義理」を果たすために行動を起こした。 』


「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」という言葉がある。

 

かけた情けを、「オレがやってやったんだぞ」などと、いつまでも恩にきせるようではカッコ悪い。

 

しかし、受けた恩は絶対に忘れてはいけない。

 

それが義理人情に厚い人であり、一本筋の通った人だ。


義理と人情に厚い人でありたい。

 

🤔🤔🤔🤔🤔

 

「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」・・・・

 

The人間❗

 

やっぱ人間は素晴らしい👍

 

謙虚に勤勉に席田を愛するぞ~❗

 

今日も、ありがとうございました🙏