曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明氏の心に響く言葉より
【お預かりしている命】
この世に生を受けてから人生をおえるまでの期間を、ふつう「寿命」といいます。
しかし、禅(仏教)では違ういい方をします。
「定命(じょうみょう)」です。
命の長さは生まれ落ちたその瞬間から“定められている”と考えるため、そう表現するのです。
もちろん、自分の定命がどのくらいの長さなのかは、誰にもわかりません。
たしかなことは、どんな命にも、必ず、終わりがあるということ。
これは避けようがありません。
では、命は誰のものでしょうか。
「自分の命なのだから、誰のものでもない。自分のものに決まっているじゃないか」
多くの人がそう思っているのではありませんか?
しかし、違うのです。
禅は命をこう考えます。
「仏様(ご先祖様)からの預かりもの」
いま、そこに、自分がいただいている命は、ご両親をはじめ、たくさんのご先祖様が永々(えいえい)と命をつないできてくれた結果としてあるのです。
そのうちのたった一人でも欠けていたら、いまの命はありません。
そのことを思ったら、“命は自分のもの”だなんていえますか?
ご先祖様たちのお陰様によって、いただいている。
ご先祖様からお預かりしている、という受け取り方ができるのではないでしょうか。
お預かりしている命だとしたら、自分勝手に扱うことはできませんね。
他人様(ひとさま)からなにかをお預かりしたら、お返しするまで大切に、扱うはずです。
命も同じ。
定命が尽きてお返しする瞬間まで、大切にしていくのが、当たり前の命との向き合い方でしょう。
『定命を生きる よく死ぬための禅作法』小学館
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
筑波大名誉教授、村上和雄氏は「自分の体」についてこう言っています。
『自分の体は自分のものだと思っているかもしれませんが、実は私たちの体はすべて借りもの、要するに“レンタル”なのです。
レンタルですので、期限が来れば返さねばなりません。
これが「死ぬ」ということです。
貸し主は地球、宇宙、そして神です。
体は地球や神からの借りものという考えは、昔から日本にあります。
神は、私たちに体を貸した際、レンタル料、まあ利息と表現してもいいですが、そういうものを取るようなケチ臭いことをしませんでした。
すべての人に対して無償で貸してくれたわけです。
それでは、借り主は誰でしょうか?あなた?
あなたというのを仮にあなたの体と表現すると、体は60兆個の細胞でできており、それらは1年くらいで1度全部入れ替わりますから、そういう主体性のない存在に借りる権利はありません。
では、心?そう思うかもしれませんが、そうではない。
なぜなら、心はしょっちゅう変わります。
細胞と同じです。
入れ替わるというか、心はその時の状況や感情でどんどん変化します。
昨日の考え方は、今日にはありません。
こんな不安定なものに体を貸せるわけがありません。
すると、残っているのは魂しかありません。
「三つ子の魂百まで」と言いますが、「三つ子の心百まで」とは言いません。
心も体も日々、入れ替わっているからです。
心は、確かに私の一部ではありますが、毎日変わります。
死ぬと、くやしい、さびしい、嬉しいといった心はなくなりますが、魂はなくなりません。(神“サムシング・グレート”と見えない世界/矢作直樹・村上和雄)祥伝社新書
体は神さまからのレンタルだということが、ストンと腑に落ちれば、体を粗末にすることはできない。
借りているものだから、できるだけメンテナンスをよくして、たとえ古くなったとしても、「清潔で、よく手入れが行き届いて気持ちがいいね」と言われて返したい。
そういう意味からすると、女性は、特に、日々お化粧をして、いつも清潔できれいにしているので、貸主からしたら「大事に使ってくれて、ありがとう」と言われるかもしれない。
反対に、むさくるしく、頭などボサボサで不潔な男性がいたとしたら、貸主は嘆くだろう。
誰が「命」をお預かりしているかというと、それは村上先生のいう「魂」。
お返しするその時まで、お預かりしている命と体を、日々大切に使わせていただきたい。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
🤔🤔🤔🤔🤔
なんとな~く、分かる気がしますが
難しいですね~💦
55歳になって、やっと暴食は
コントロール出来てる気はしますが😀
酒の席で話が盛り上がると
二日酔い覚悟で💦飲んでしまいます😌
飲食以外で、
「楽しくてしょうがな~い」事が出てきたら😃
お酒もコントロールできるかな~😓
とにかく・・・
神様に預かった身体なら
そろそろ大事にしなきゃね~😉
今夜も冷えてきましたよ❗
温かくしながらも、お互い火の元注意しましょうね🖐️
今日も、ありがとうございました🙏