【「目に見えない世界」をなんとなく感じること】
私が恵まれていたのは、多くの先人から「目に見えない世界」の中にまことの喜びを見出すことを教えていただいたことです。
そのことをみなさんにもお伝えできたらと思います。
「天が喜ぶ生き方」は「目に見えない世界」の中に見出すことができます。
私たちは、普段「目に見える世界」を中心に生きています。
「目に見える世界」では、何かが「できる」「できない」、「うまい」「下手」などが、はっきりわかります。
ですから、目に見えたことだけを見て、ついつい「正しい」「正しくない」とか、「いい」「悪い」と言ってしまいます。
しかし、人の心の中は見えません。
見えないからよくわかりません。
自分の心のことですらわからないことがありますね。
人の心のように「見えない世界」はわからないし、感じにくいものです。
しかし、「見えない世界」を大切にして生きていくことが、天が喜ぶ人生にはとても大事なことなのです。
多くの人にとって「見えない世界」は「わからない世界」です。
でも、わからないからこそ、自分で感じ取ろうとすることです。
まずは、なんとなく、なんとなく感じることから始めてみる。
これが出発点です。
私たちは、親から生まれてきました。
そして自分の親もおばあちゃんから生まれてきました。
そのおばあちゃんはひいばあちゃんから、
ひいばあちゃんはひいひいばあちゃんから、というように親から親へと延々とつながって今がある。
このように、ずっとずっと命が続いてきたということはなんとなくわかっています。
「目に見える世界」では、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんの代までならよくわかるけど、その先のことはほとんどわからないですよね。
しかし、ただ、ずっと続いてきた命の結果、私は生まれてきたんだなぁ、ありがたいなぁ、となんとなく感じる、これが「目に見えない世界」なのです。
なんとなく感じる、なんとなくありがたいなぁと思う、この感覚です。
「目に見える世界」だけを見て生きていると、「このことがありたい」「あのことがありがたい」と具体的な出来事だけをとらえて考えるので、「このことはありがたくない」という事柄が出てきてしまう。
すべて理屈の世界になってしまうのです。
「目に見えない世界」に目を向けると、「なんとなくありがたい」という思いが、ふとふと、湧かされるのです。
ふっとした時に、なんとなく思わされるのです。
私たちは、頭で考えて動くことがほとんどですが、たまに、なんとなくそうしてしまった、なんとなくそれが良いと思って行動した、というようなことがありますね。
そういうときは、なぜか物事が流れるようにうまくいったり、結果が同じでも心の中の清々しさが違ったりするものです。
きっとみなさんも感じたことがおありだと思います。
この目に見えない「なんとなく」の世界を昔の日本人は、大切に生きてきました。
あなたがこうしてこの本を手に取ってくださったのもひとつのご縁です。
そして、この「なんとなく」という漠然とした言葉でしか伝えられない世界を、「なんとなく」感じ取ってくださるみなさんがいる。
この目に見えない「なんとなく」を深めていくことで見えてくる新しい世界があるのです。
『すべては今のためにあったこと』海竜社
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「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」
伊勢神宮に参拝した際の、言葉にならない感動を歌った歌だ。
お伊勢さまにきたら、何がどうのこうのという訳ではない、理屈ではなく、ただ涙が出てくる。
「さようなら」王子さまは言った。
「さようなら」キツネが言った。
「じゃあ秘密を教えるよ。
とてもかんたんなことだ。
ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
いちばんたいせつなことは、目に見えない」
神仏も、親の恩も、愛も、情も、人の気持ちも、大事なことは、みな目に見えない。
「おかげさま」という言葉も、何のお陰なのかは理屈で考えてもわからない。
「目に見えない世界」をなんとなく感じ…
感謝とお陰さまの気持ちで日々をおくりたい。
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😌😌😌
なかなか、「お陰様」・・・に感謝出来てないのですが😅💦
でも、ふとした幸せの瞬間に、感謝が湧く時がありますよね❗
その感謝の瞬間を、大事に次に繋げれるようにすることが→→→「お陰様です」とするならば❗
「いちいち怒ってる暇はない」ですね💦
😌
家族の皆さん、【💢キレる親父】でなくなるまで、もうしばらくお待ち下さいませ💦
いつも読んで下さる皆様に感謝🙇
今日も、ありがとうございました🙏