【人生の食卓】
ひろさちや氏の心に響く言葉より…
わたしは豆と芋が嫌いである。
子どものころ、親類の家で豆と魚を出され、嫌いな豆を片付けたあと、ゆっくり魚を食べようと思った。
ところが叔母が、「そんなに好きなんだったら…」と、もう一杯おかわりの豆を入れてくれたのには往生した。
それ以来、好きな物から食べることにしている。
それはともかく、曹洞宗の現代の名僧であった沢木興道の言葉に、
「全部いただく。選(え)り食いはせぬ」
がある。
なかなかいい言葉だ。
わたしにはちょっと耳が痛いが…。
しかし、沢木老師はたんに偏食について言われたのではない。
お分かりであろうが、これは人生の生き方についての言葉なのである。
人生の食卓には、いろんなご馳走が出てくる。
好物もあれば、嫌いな物も出てくる。
ご馳走ばかりとはかぎらない。
粗末な食事が供されることだってある。
わたしたちはこの人生において客である。
客だと考えたほうがいい。
なかなか、自分の思い通りには生きられないからである。
客だとすれば、わたしたちは出された食事を、あれこれ選り好みしないで全部いただかねばならない。
注文をつけることは、客の分際をわきまえていないことになる。
そう、逆境になれば、逆境の人生をしっかり生きればいいのである。
まあ、ほとけさまがそのような食事を出してくださったと思えばいい。
安楽に生きられるなら、安楽に生きるとよい。
死ぬときも同じで、のたうちまわって死ぬ運命であれば、それもほとけさまの食事としていただけばよいのだ。
それが沢木老師の言いたかったことであろう。
『のんびり生きて気楽に死のう』PHP研究所
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そのとき知人にこんな見舞の手紙を送っている。
『「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」
災難にあったらジタバタせず、腹をくくって災難を受け入れなさい。
死ぬ時が来たら、あわてず騒がず、淡々と死を受け入れなさい、これが災難を逃れる唯一の方法だ、という。
災難は、腹をくくると、気持ちが落ち着く。
「災難は、敵対しないで淡々と受け入れる」
それが、災難をのがれる最良の方法。
まさに…
「全部いただく。選(え)り食いはせぬ」
選り好みをしないで、人生を淡々と生きてゆける人でありたい。
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😁😁😁😁😁
ですよね~😁
覚悟して受け入れた時の
自分の心の大きさに
👏拍手したい瞬間がたまにありますが😅
そんな瞬間を増やせるように
コツコツ頑張りま~す👍
今日も、ありがとうございました🙏