我が家のルールブック

一歩一歩が最速の近道

女は強し😭

【女性の賞賛】

 

小林正観さんの心に響く言葉より…


《女は一人でも生きていけるが、男は生命力が弱いので、偉そうにして強そうに見せてはいるが、支えてくれる人がいないと生きていけない。

 

男は、女が「賞賛」すると、元気になって、やる気になる》


雷の日に凧揚(たこあ)げをやっていたバカな男がいた結果として、電気を発見することになりました。

 

男性がそういうバカなことをやってしまうのは、神さまが男をそういうふうにつくったからです。

 

男性と女性がいないと種の存続がありえないのと同様に、時代は、どちらかがバカでないと進んでいかないようにできているようです。


女性の中には男性のバカに悩まされている方も多いかもしれません。

 

その通り、女性のほうが「強く」「賢い」のですが、女性はそれをあまり表には出さないほうがいいらしい。

 

男性にとって大きなコンプレックスになるからです。

 

だから、オヤジギャグを言うような男性でも、「おもしろいことを言うんですね」とほめてみましょう。


そうすれば、男性はどんどん元気になり、より働くようになります。

 

男性が才能を開花させるには、「強くて」「賢い」女性がカギを握っています。

 

いやなこともあるかもしれませんが、かよわい男性を温かい目で見守ったほうが、女性にとっては得かもしれません。


『心を軽くする言葉』イースト・プレス


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1752年、雷の正体を確かめるため実験したのは、アメリカの政治家でもあり、科学者でもあるベンジャミン・フランクリン

(日本では江戸時代)

 

実験をしていないという説もあるが、避雷針を発明したのは事実だ。


また、フランクリンはこんな言葉を残している。

 

「老いた若者は、若い老人になる」

 

若くして老人のように好奇心や挑戦する心を失ってしまったら、幼稚でわがままな老人になってしまう。

 

責任もとらず、いつも他人のせいにするような、成熟していない老人は始末に負えない。

 

しかし、大人としての責任は果たしつつ、いくつになっても遊び心や好奇心を忘れない大人(老人)はとても魅力的だ。


小林正観さんはこんなことも言っている。

 

『男子校で甲子園によく出てくる強豪チームがいます。

男子校ですが、野球グランドにまわりの高校の女子生徒が応援に来ているのです。

「〇〇くーん、〇〇さーん、ステキ」という声が飛び交っています。

千本ノックをして、すごいボールにうまく飛びついてキャッチをすると、女子生徒たちからキャーという歓声が上がります。

そういうことの繰り返しによって、男はどうも能力をどんどんどんどん開発し、磨かれていく、磨くものであるらしいのです。

一言でいうと男はバカにすぎないのですが、そのバカさ加減をどんどんどんどんステキなものにしていくというのが、女性が持っている賞賛という名の魔法なのかもしれません。』(啼かなくていいホトトギス中経出版)より


いくつになっても、女性の賞賛は男性の「やる気」の元となる。

 

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🤔🤔🤔🤔🤔

 

なるほどなるほど~😁

 

僕も実は、世界一可愛い嫁さんに操られているのか~💦😅😅😅

 

【世界一可愛い嫁さん】と書いた時点で

皆さんには、

 

「夫婦で、どんだけ駆け引きしてますか🤔」

や「大丈夫ですか?😁」と、

 

ばればれだと思いますが💦😌

 

嫁さんのプレッシャーを身体で受け止めながら💦

 

なんとか元気に、生きて行きます😰

 

今日も、ありがとうございました🙏

瞬間の判断力を磨く👍

【「あなたという人」がおもしろそうだから】

 

角田陽一郎氏の心に響く言葉より…


先日、漫画『宇宙兄弟』などの編集者であり、株式会社「コルク」の代表でもある佐渡島庸平ようへい)さんと対談したとき、

佐渡島さんは「ネット空間上では、企業より個人の方が信頼度(クレジット)が上である」とおっしゃっていました。

 

この言葉は、まさに目からうろこでした。

 

みなさんも、普段ネットを使うときのことを思い返してみてください。

 

ブログやツイッターで薦(すす)められているモノやコトで、「あ、いいな!自分も買ってみたい!」「自分もやってみたい!」と思うのは、たいてい、自分が信頼している個人が「オススメ」(リコメンド)しているときではないでしょうか。

 

逆に、企業が「オススメ」していても、広告だと思って、あまり信用しない人が多いのではないかという気がします。


つまり、ネット上では、公式性の担保のある企業より、一定以上の個人情報を公開して発言している人のほうがクレジットが高い傾向があるのです。

 

これまで、大多数のサラリーマンに関しては、個人のクレジットより、その人が所属している組織、つまり企業名や出身学校名などのクレジットのほうが上でした。

 

しかし、ネット空間上では違うのです。


今まではクレジットを会社が担保していたため、個を隠して仕事をすることができましたが、

SNSが浸透し、個の時代へと移っていく中で、今後必ず、自分自身のクレジットを積み上げ、仕事をしていくことが必要になります。

 

僕はよく「どうすれば、この商品がテレビに取り上げられるようになりますか?」といった質問を受けるのですが、

そんなときは必ず「あなたが有名になったほうが早いですよ」と答えます。

 

「それを作っている人のユニークさ」とか、その人のキャラクターをネット上で発信したほうが、信頼性が高いからです。

 

そして、SNSが浸透した今、有名になることは、以前よりも難しいことではなくなってきています。


「あなたという人」がおもしろそうだから、あなたがやりたいことに協力しよう。

 

SNSを使って記名で発信していれば、今後、そんな人たちも現れるのではないかと思います。


『なぜ僕らは、こんなにも働くのだろうか?』アスコム

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どんなにいいアイデアがあろうと、どんなに文章がうまくても、ユニークな生き方をしていようとも、

それがひとつもアウトプットされていなければ、そのことを誰も知ることができない。

 

つまり、この世においてはそれは無かったことになってしまう。

 

アウトプットという発信がいかに大事かということだ。


そして、SNSの面白いところは、発信するのは個人によってなされるということ。

 

よく、個人がメディアを持つ時代、と言われるが、まさに一人一人が放送局であり、新聞社であり、出版社であるということだ。


すると、大事になってくるのは、それらの発信が、本人の署名入り記事であるのか、顔出し放送であるのかということだ。

 

名前を隠したニックネームでの発信や、マスクをかぶって顔を隠してのYouTubeでは、信頼度が著しく落ちる。

 

新聞の退潮が喧伝されるが、信用度という点において、ほとんどの記事に署名がないのも少なからぬ影響があると思う。


SNSでのアウトプットは、ヘンな発信をすれば、あっという間に叩かれる。

 

それを自分の本名や顔出しでやるのだから、相当なリスクがある。

 

しかし逆に、本名や顔出しすることを前提とするなら、個人個人が細心の注意を払い、リスクマネジメント能力を自分が高めていくしかないことに気づく。

 

それは、自分を「ブランド化」すると考えると分かりやすい。

 

自分を「ブランド化」するには、自分を磨き、己のレベルを上げていくということだ。


アウトプットは…

 

「おもしろいこと」

「ハッとしたこと」

「うれしかったこと」

「ありがたかったこと」

「楽しかったこと」

「感動したこと」

「役に立つこと」

「知らせたい情報」…

 

それが、アーカイブとしてどんどんたまっていくと、いつかあるときそれは、

「爆発する(岡本太郎風に)!」かもしれない。


「あなたという人」がおもしろそうだから、 あなたにに協力したい、と言われるような人でありたい。

 

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🤔🤔🤔🤔🤔

 

なるほど~❗

 

確かに最近ユーチューブ見てると、

 

発信してる人が【自分をブランド化】しようとしている人と、

 

情報発信してることに【自己満】しているかな~💦

 

って人とに、はっきり分かれて来たぞ~❗

 

日々、自分を磨きレベルアップできるように・・・

 

今夜も飲みながら作戦会議だ~💦😌

 

今日も、ありがとうございました🙏

回復できる場所😉

【レストランの語源は】

 

内藤誼人(よしひと)氏の心に響く言葉より…

 

米国チューレーン大学のアーサー・ブリーフ博士が、ある病院で働く看護師や医者、事務員などを対象に、職務満足感を尋ねてみたことがある。

 

「あなたはこの病院で働くことに満足していますか?」といった質問をぶつけてみたのだ。

 

ただし、半分の人たちには、食べ物や飲み物を与えずに、いきなり質問をぶつけて見たのである。


するとどうだろう、同じ病院で、同じような仕事をしているというのに、事前に飲み食いした人たちのほうが、「僕はこの病院で働けて幸せだ!」とか「私は、ものすごく今の職場に満足」などという結果が得られたのである。

 

結局、私たちは、質問されるときに“気持がいい”ムードにさせられていると、好ましい返答をしてしまうものだ、ということがこのデータからわかる。

 

人に頼みごとをするときには、たっぷり飲み食いさせるのが基本。


ようするに、「接待」してあげるわけである。

 

何の接待もしてあげないのに、仕事をお願いするときには、ひょっとすると何十回も打ち合わせをしなければならなくなるかもしれない。

 

これは時間と労力のムダである。

 

ところが、1回でも、相手が好きなものを飲み食いさせてあげれば、

 

「〇〇の件、よろしくお願いしますね」

と気軽な申し出でも、相手は喜んで引き受けてくれるかのしれない。

 

なぜなら、飲み食いした人間は、気持ちが大きくなるからである。

 

つまり、結局は、接待したほうが安あがりなのである。


接待をしても、思うような結果があがらないということはある。

 

しかしそれには、2つの理由がある。

 

ひとつめは、相手が最終決定をするための地位や役職にいないこと。

 

この場合には、接待を受けた当人が引き受けてあげたくとも、社内の反発があったりして、うまくいかなかったのであろう。

 

接待が悪かったのではなくて、接待を持ちかける相手を間違えると、時として、こういう失敗が起きる。


もうひとつの理由は、接待自体が失敗だったということ。

 

自分ばかりが飲み食いを楽しんで、相手を盛り上げることができないなら、やはり接待をしても効果はあげられなくなる。


この2つを間違えなければ、たいていの接待はうまくいく。

 

そして、飲み食いを楽しんだ人間は、必ず、あなたのためにも喜んで協力を申し出てくれるようになるのだ。


昔から、「接待がうまいヤツは、出世も早い」と言われているけれども、接待の勘どころをきちんと押さえている人間は、人間のツボをきちんと心得ていることが多いので、出世も早いのである。

 

なお接待のコツは、お金をかけることではなく、相手を楽しませることである。

 

別に、豪華なところで飲み食いさせなければダメだということではないので、その点は誤解のないように。

 

いくら豪華な料亭に連れて行こうが、接待する側の対応がヘタくそなら、その接待は失敗するので注意してほしい。


『他人を動かす質問』大和書房

 

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「接待」が必要なのは、何も、取引先や、職場の中、あるいは利害関係にある知り合いだけではない。

 

たとえば、家族や友人も立派な接待の対象だ。

 

接待というと、何かの見返りを求めてするような意味合いが強いが、「会食」といえばイメージは違う。


レストランは、フランス語の「restaurant」からの外来語で、

「再度」「良い状態に する」「回復する」意味の「restauro」に由来する。

 

「回復させる」という意味から、「元気にさせる飲食物」 「滋養となる飲食物」を意味するようになり、

「回復させる所」を意味する「restaurant」という語が生まれた。

 

現代のレストランの起源は、1766年、裕福な商人の息子 が、パリの旅行者を喜ばせるために考案したのが始まりと いわれる。 (語源由来辞典より)


コロナ禍の現在は、残念なことに、飲食店やレストランは悪者扱いをされている。


しかし、元々は、家族や友人、あるいは旅人をもてなし、元気を回復させる場所だったのだ。


コロナ禍で多くの店舗が苦境に陥っている今…

 

たくさんの素晴らしいレストランや食堂、

居酒屋が元のように復活できる日がくるのを、心から強く願うばかりだ。

 

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🤔🤔🤔

 

なるぼとなるほど~❗

 

今日は【接待の極意】を学べたな~😁

 

コロナウイルス禍ですが、

 

接待するほうの僕も、これからどんどん【回復】するぞ~😌

 

最近、我が家の少年少女から「飲み過ぎやな~い」と、

家飲みの僕にチェックが入りだしました💦

 

子どもの成長が、時には怖い飲んべえです😅

 

今日も、ありがとうございました🙏

機嫌いいですか?

【自分の「機嫌」に気づくこと】

 

辻秀一氏の心に響く言葉より…


「今の機嫌はどうですか?」と聞くと、多くの人は「普通です」と答えます。

 

もしくは「機嫌がいいですか?それとも機嫌が悪いですか?」の質問には、

「どっちでもないです」という答えがよく返ってきます。

 

おそらく「普通」も「どちらでもない」も同じ意味合いでしょう。

 

要するに、「よくわからない」ということです。


機嫌は大事だとわかっていても、自分の機嫌に意識を向けながら生きている人は案外少ないのです。

 

特に、日頃から結果重視で考えがちな人は、自分がノンフローなまま生きている自覚がありません。

 

機嫌を問われてはじめて、「そういえば最近、何をしてもおもしろくないし、楽しくないな」と気づくくらい、

ノンフローな状態をデフォルトだと思い込んでいるのです。

 

自分の機嫌に意識が向かないのは、「機嫌に気づく」という感性が養われていないからです。

 

心の状態を整えるには、「気づき」が不可欠です。


たとえば、上司のミスを自分に押しつけられたら不機嫌になるのは当たり前。

 

けれどそこで重要なのは、「自分は今、不機嫌だ」という心の状態に気づくことです。

 

今、イライラしているな。

 

今、落ち込んでいるな。

 

心の状態は、自分の感情に気づくという簡単なことで変化します。

 

こうして自分の不機嫌さに気づくだけで心は安定するのです。


この気づきをもたらすものは俯瞰(ふかん)による客観性です。

 

「外」に向かって暴走している認知脳を鎮静化させる一番の方法は、ライフスキルを働かせて「内(心)」に意識を向けること。

 

その時々で自分の心に意識を向けて、鳥の目で見た自分の心の状態に気づくことが心を整えるライフスキルのベースとなります。


自分の機嫌に気づくだけでも、あなたの機能は上がります。

 

現に、経営者や社員が自分の感情に気づくトレーニングをして業績が上がった企業はたくさんあります。

 

自分の機嫌に気づくことは人生の質を左右するくらいとても大事なこと。

 

俯瞰して自分を見て、心の状態に目を向けることを習慣にしていきましょう。


『「与える人」が成果を得る』ワニブックス


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辻氏は「機嫌の価値化」こそ「与える」思考の原動力だと言う。


『誰もが機嫌良く生きたいと思っているでしょう。

 

機嫌良くいられれば物事はスムーズで楽しい人生になることはわかっていると思います。

 

自分の機嫌を他者にコントロールされたくない。

 

日々の出来事にいちいち左右されたくない。

 

自分の機能を上げて高いパフォーマンスで勝負したい。

 

多くの人がそう願っていると思います。

 

それなのになぜ、いつも機嫌良くいられないのでしょうか。

 

答えは非常にシンプルです。

 

みなさんの中で「機嫌良くいること」にそれほど価値がないからです。

 

メンタルトレーニングは、自分の機嫌は自分で取るというライフスキル脳を習慣化することです。

 

メントレを継続してライフスキルが磨かれていく人には、ある共通点があります。

 

自分が機嫌良くいることがなぜ自分の人生に良いのかを体感して、フローの価値が高いことです。

 

自分の仕事、自分の人間関係、自分の人生において、機嫌がいいとどうなるかをとことん考えてもらいます。

 

機嫌がいいほうが人に優しくできる、

頭がシャープになる、

良い判断ができる、

イデアがたくさんわく、

行動力が増す、

仕事がサクサク進む、

よく眠れる、

健康でいられる、

シュートがよく入る、

筋トレをより頑張れる、

笑顔が増える、

冷静でいられる…、

 

こうやって何度も繰り返しフローの価値を自分で確認していきます。

 

「たかがそんなことか」と思われるかもしれません。

 

しかし、フローの価値が高まっていない人の心にフローな風は吹きません。

 

こうした「価値を価値化する」ことこそが、実はライフスキル脳を磨いていく非常に重要なプロセスです。』


『心理学者のチクセントミハイは、時間を忘れて何かに集中している状態を「フロー」と呼んでいます。

 

フロー状態になると、少ないエネルギーで高いパフォーマンスを生み出せます。

 

フローが最高潮に達した状態は「ゾーン」や「ピークエクスペリエンス」と表現され、いわゆる無我の境地のことです。

 

ゾーンに入るのは簡単ではありません。

 

しかしそこまでいかなくても、フローの状態であれば、ムダなエネルギーを使うことなく質の良いパフォーマンスができます。』

 

人の「機嫌」はその人のパフォーマンスに莫大な影響を与えている。

 

「機嫌」がちょっとでも悪くなると、行動力は低下し、怒りっぽくなったり、ネガティブなことを考えてしまったり、否定的になり、そしてやる気がなくなる。

 

だからこそ、自分の「機嫌」が今どの状態なのかを常に客観的に把握しておく必要がある。

 

つまり、心拍数や血圧や体温と同じように、常時モニタリングする。


自分の機嫌は自分で取れるという。

 

自分のパフォーマンスを上げ、フローの状態になるため…

 

自分の機嫌を常によくしておきたい。

 

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🤔🤔🤔

 

やらなくてはいけない事をせず

 

「笑顔でいれば、誰かやってくれるかも・・・」

 

等と、自分で自分を誤魔化して💦

 

「機嫌はいいで~す😌」

 

と、言わないように💦💦💦

 

コツコツ頑張りま~す😅

 

今日も、ありがとうございました🙏

瞬間に感謝できるか💦

【人生の食卓】

 

ひろさちや氏の心に響く言葉より…


わたしは豆と芋が嫌いである。

 

子どものころ、親類の家で豆と魚を出され、嫌いな豆を片付けたあと、ゆっくり魚を食べようと思った。

 

ところが叔母が、「そんなに好きなんだったら…」と、もう一杯おかわりの豆を入れてくれたのには往生した。

 

それ以来、好きな物から食べることにしている。


それはともかく、曹洞宗の現代の名僧であった沢木興道の言葉に、

 

「全部いただく。選(え)り食いはせぬ」

がある。

 

なかなかいい言葉だ。

 

わたしにはちょっと耳が痛いが…。


しかし、沢木老師はたんに偏食について言われたのではない。

 

お分かりであろうが、これは人生の生き方についての言葉なのである。


人生の食卓には、いろんなご馳走が出てくる。

 

好物もあれば、嫌いな物も出てくる。

 

ご馳走ばかりとはかぎらない。

 

粗末な食事が供されることだってある。


わたしたちはこの人生において客である。

 

客だと考えたほうがいい。

 

なかなか、自分の思い通りには生きられないからである。


客だとすれば、わたしたちは出された食事を、あれこれ選り好みしないで全部いただかねばならない。

 

注文をつけることは、客の分際をわきまえていないことになる。

 

そう、逆境になれば、逆境の人生をしっかり生きればいいのである。


まあ、ほとけさまがそのような食事を出してくださったと思えばいい。

 

安楽に生きられるなら、安楽に生きるとよい。

 

死ぬときも同じで、のたうちまわって死ぬ運命であれば、それもほとけさまの食事としていただけばよいのだ。

 

それが沢木老師の言いたかったことであろう。


『のんびり生きて気楽に死のう』PHP研究所


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良寛和尚が71才の時、三条市を中心に大地震が起こった。

 

そのとき知人にこんな見舞の手紙を送っている。


『「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候  死ぬる時節には死ぬがよく候  是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」

 

災難にあったらジタバタせず、腹をくくって災難を受け入れなさい。

 

死ぬ時が来たら、あわてず騒がず、淡々と死を受け入れなさい、これが災難を逃れる唯一の方法だ、という。

 

災難は、腹をくくると、気持ちが落ち着く。


「災難は、敵対しないで淡々と受け入れる」

 

それが、災難をのがれる最良の方法。


まさに…

「全部いただく。選(え)り食いはせぬ」

 

選り好みをしないで、人生を淡々と生きてゆける人でありたい。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

😁😁😁😁😁

 

ですよね~😁

 

覚悟して受け入れた時の

 

自分の心の大きさに

 

👏拍手したい瞬間がたまにありますが😅

 

そんな瞬間を増やせるように

 

コツコツ頑張りま~す👍

 

今日も、ありがとうございました🙏

世界に出るぞ~👍

【1キロ100万円の塩をつくる】

 

ビニールハウスのなかには、長方形の木箱がずらっと並んでいる。

 

その木箱には海水が入っていて、たくさんのアーモンドが浮かんでいたり、藁(わら)が敷き詰められていたり、カニの甲羅が沈んでいるものもある。

 

これらは天日と風に晒されて、「塩」になる。


2018年4月、高知県田野町(たのちょう)で日本唯一の「オーダーメイドの塩」を作っている「田野屋塩二郎」の取材に訪れた時、僕は想像もしなかったその光景に目を奪われた。

 

2009年に「田野屋塩二郎」の屋号を掲げて塩をつくり始めた佐藤京二郎さんは、それまで誰も手掛けたことがない「注文に応じて、味や結晶の大きさを変えるような塩のつくり分け」に挑んだ。

 

それが国内外の料理人に広まるとすぐに引っ張りだこになり、ウェイティングリストができる職人になった。


これまでに佐藤さんがつくった最高値の塩は、1キロ100万円。

 

僕はその金額を聞いて仰天すると同時に、大きなポテンシャルを感じた。

 

欧州で「黒いダイヤ」と称されるトリュフに、1キロ100万円の値がついたというニュースを見たことがある。

 

塩は日用品で、安価なイメージがあるけど、自由な発想と確かな技術、さらに度胸があれば、高級食材のトリュフと同じ土俵に立つことができるのだ。


佐藤さんは365日、塩と向き合い、腕一本で「オーダーメイドの塩」の市場を作り出した。

 

そうすることで、塩の可能性を広げた。

 

「生産者が上に立つような仕事、商品というのが面白いし、そういう商売のやり方が幸せなんじゃないですかね。汗流しているやつが一番上に立たなきゃいけないですよ」

 

塩の世界に革命を起こした佐藤さんの言葉は、僕の脳裏に深く刻まれた。


その4ヵ月後、僕は兵庫県丹波市にいた。

 

2016年に緑豊かな甲賀山の麓にパン工房「HIYORI BROT」(ヒヨリブロート)を立ち上げたパン職人、塚本久美さんの取材だった。

 

周囲はのどかな田園地帯で、人の姿はほとんど目に入らない。

 

耳に届くのは、風のざわめきと鳥の鳴き声ぐらい。

 

そんなところでパン屋?と疑問に思うかもしれないが、ヒヨリブロートは、全国的にも極めて珍しい通信販売専門のパン屋さんなのである。


東京都内の有名なパン屋さんで修行していた時、塚本さんには残念に感じていることがあった。

 

パン職人の仕事は早朝から始まるハードな肉体労働だから、腕利きの女性の先輩たちが、結婚や出産を理由にパンづくりから離れていく。

 

それはもったいない!

 

塚本さんは独立を考えた時に、「結婚しても、出産しても、ひとりでも続けられること」を考えて、通販専門という形を選んだ。

 

しかも、販売するパンは数が違う3種類の「おまかせセット」のみ。

 

店舗のない、お客さんがパンを間近に見ることも、好みで選ぶこともできあにパン屋は異色の存在だろう。


果たしてその行方は?

 

開業以来、塚本さんは日本全国を巡り、こだわりの農産物をつくっている生産者とコラボし始めた。

 

そのパンが大人気になり、現在、ヒヨリブロートのパンは3年待ち。

 

塚本さんはフェイスブックやインスタグラムをお客さんとの接点として活用していて、特に不自由もないという。

 

最近、チョコレートなど農産物以外のおいしいものをつくっている友人や知人とコラボしてネットで販売しているが、それもすぐに売り切れる。


店舗のないパン屋さんは、オンラインで大盛況なのだ。

 

塚本さんは、自らの手で「店舗のないパン屋さん」の可能性を示した。

 

さらに、女性に限らず、世の中のすべてのパン職人に、これまでにない働き方を提示している。


田野屋塩二郎の佐藤さんと、ヒヨリブロートの塚本さんに立て続けに取材をした僕は、ドキドキしながらこう思った。

 

「今、食の分野で単なる『おいしい』を越えた、新しい挑戦をする人たちが出てきている!日本のあちこちで、常識を覆すような小さな革命が起きているのかもしれない!」


改めて「食べもの」の世界に注目するようになってわかったのは、日本にはおいしいものが溢れているということだった。

 

行列のできる…即完売の…予約が取れない…などの言葉をメディアで目にしない日はない。

 

その「おいしい」情報の洪水のなかで、僕が着目していたのは、マーケティングやプロモーションといったビジネス的なテクニックではなく、とんでもなく熱い想いや大胆不敵な思い付きをもとにチャレンジしているか。

 

それがいかに果敢で、周囲や業界にどういう変化を巻き起こしているのかも注視した。


目を皿のようにして情報の海を泳ぎながら、「この人は!」と思う人が見つかると、取材を申し込んだ。

 

塩の佐藤さん、パンの塚本さんの取材を含め、僕が2年かけて出向いたのは、宮城県鳴子温泉郷から沖縄の南大東島まで、日本全国10の地域。

 

常識を超えて「おいしい」を生み出そうと奮闘する10人の物語である。

 

10人がつくっているものを、挙げてみよう。

塩、パン、チーズ、おはぎ、ジェラート、ピーナツバター、お茶、コーラ、ワイン、ラム酒


『1キロ100万円の塩をつくる』ポプラ新書


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『それぞれに取り組みや目指しているものは違うけど、共通していることもある。

 

彼ら、彼女らの「おいしいものづくり」は、たったひとりから始まったということだ。

 

「ひとりの強い想いは、不可能を可能にする」

 

例を挙げよう。

 

チーズ職人の柴田千代さんは自分の工房を持っているが、営業日は月に1日。

 

定休日ではなく、営業日である。

 

彼女は開業から3年で、女性職人として史上初めて日本一になった。

 

ジェラートの職人、大澤英里子さんは、故郷の鳴子温泉郷ジェラートのお店を開こうとした。

 

銀行に融資を申し込みに行ったら、「鳴子ってすごい雪が降るでしょ。そんな雪の降るところでジェラートですか?」と鼻で笑われた。

 

その後、彼女はジェラート界で知らぬ人のいない存在になっている。』


また、100万円の塩のことは、こう書いてあった。

 

『フランスのお高いレストランからの依頼でしたね。

一年間、トリュフを海水につけて、トリュフの出汁をとるんです。

海水は蒸発していくんで、つぎ足し、つぎ足しで。

その出汁で塩をつくりました。

塩全体がトリュフの味になるということではなくて、塩の結晶のなかにトリュフの風味を取り込むんです。

料理人の求めに応じて、ここまで自在に塩をつくることができる職人は他にいない。

佐藤さんの存在はあっという間に知れ渡り、国内外から注文が届くようになった。

難しい依頼があればあるほど燃えるタイプで、

相手が本気だとわかればどんな注文も断らなかった。

その結果、飲食店からのオーダーが全体の9割超を占めるようになり、売り上げは右肩上がりで伸びていった。

今ではビニールハウスが4棟になり、200弱の木箱で常時100種類以上の塩がつくられている。

木箱は常に埋まっていて、ひとつの塩が出荷されると、ウエイティングリストの1番目の塩づくりが始まる。

その注文が途切れることはない。』


本の帯には「小さな経済圏から世界一を目指す。働き方のイノベーション!」とある。

 

まさに、これからの時代は、小さいということがデメリットにならない時代だ。

 

尖った商品、唯一無二の商品を出せば、世界から注文がくる。


小さくても世界一を目指すことができる…

 

夢を大きく持ちたい。

 

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🤔🤔🤔🤔🤔

 

世界を目指す❗❗

 

いい目標だ~😁

 

まず、自分の得意分野はなんだろ~❗

 

それを、小さく小さく発展させて

 

いずれ世界に進出❗❗

 

(ユーチューバー)が、それかな😃

 

現実は小さいけど、

 

夢は大きくもってもよさそうですね💦

 

今日も、ありがとうございました🙏

早く来い。明日❗

【ことばが人を成長させる】

 

天台宗ハワイ開教総長・大僧正、荒了寛氏の心に響く言葉より…


赤ん坊は生まれてしばらくのあいだ、お腹がすいたり、眠かったり、どこか気持ちが悪いというようなことを泣いて伝えます。

 

まるで泣くことが唯一のコミュニケーションの方法であるかのようです。

 

その後、成長するにしたがってことばを覚え、カタコトでも自分の気持ちを表現できるようになり、どんどんことばの数がふえていきます。

 

つまり、次第にことばを覚えるにつれて人間らしくなっていくわけで、ことばを知らなければ知識を得ることも、知識を伝えることもできません。


そして、たいへん重要になるのが、子供のときに覚えることばです。

 

いつも聞くことばが乱暴であれば、乱暴なことばを話すようになりますし、いつもまわりからかけられることばがやさしかったり、よいことばであれば、そのような話し方ができるようになります。

 

また、どんなに感性が豊かでも、その感性をのばすには、ことばも豊かでなくてはなりません。

 

しかも、よいことばをたくわえていくことによって、よい性格と品格がそなわっていきますから、ことばをたいせつにする教育がきわめて重要になるのです。


人は誰でも見聞きしたり、読んだことをことばとして覚えていきます。

 

つまり、ことばイコール知恵であり、ことばこそが人を成長させ、その人の性格や考え方を形成し、「心によい習慣」をつける大もとになるといっても過言ではないのです。


ことばといえば、思い起こされるのがヘレン・ケラーです。

 

55年前の映画『奇跡の人』を覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、

生まれつき視聴覚がないという重い障害を負いながら、世界各地を回って身障者の教育・福祉につくしたアメリカの教育家・福祉事業家です。

 

彼女は献身的な家庭教師アニー・サリバンから指文字ことばの教育を受け、ついには絶望視されていた「話すこと」をマスターし、歴史に名をどどめた偉人として知られています。

 

そうした彼女が残した次のことばが印象的です。


「ことばというものがあるのを、はじめて悟った日の晩、ベッドのなかで私はうれしくて、このときはじめて『早く明日になればいい』と思いました」


まさに、ヘレン・ケラーは「ことばが人を成長させる」ということを体現し、それを証明した人だったと思います。


《豊かな感性を育むことばを身につける/どんなに感性が豊かでも、その感性を伸ばすには、ことばも豊かでなくてはならない。》


『死ぬまで穏やかに過ごすこころの習慣』フォレスト出版


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我々は、日頃、多くのままならぬ現実に、右往左往したり、オロオロしたりして生きている。

 

それを仏教では「一切皆苦(いっさいかいく)」という。

 

仏教では「苦」は通常いう《苦しみ》ではなく、「思い通りにならないこと」をいう。

 

苦は四つあり、それを「四苦」という。

 

四苦とは「生・老・病・死」だ。

 

この四つは、どうにもならないし、避けられないこと、つまり「思い通りにならないこと」。


しかしながら、ヘレン・ケラーの「苦」に比べたら、我々が日常感じる「苦」など贅沢な悩みと言えるかもしれない。

 

そのヘレン・ケラーが「ことばというものがあるのを、はじめて悟った日の晩、ベッドのなかで私はうれしくて、このときはじめて『早く明日になればいい』と思いました」 という。


ことばは、かくも大事なものだ。

 

なぜなら、「苦」は、言葉によって癒(いや)されるから。

 

言葉一つによって、それは人を元気にする薬にもなるし、人を傷つける刃物にもなる。


「ことばが人を成長させる」

 

よきことばを身につけ、 心豊かな人になりたい。

 

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😊😊😊😊😊

 

「明日よ早く来い」

 

ヘレン・ケラーさん、ありがとうございます👍

 

素晴らしい言葉を頂きました😉

 

明日が待ち遠しくてたまらないように

 

今日を過ごすぞ~👍

 

今回も、ありがとうございました🙏