【本当に大事なことは、ほとんどいつも思いがけなく起こる】
ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…
彼はラム酒を毎日飲み、5歳のときからずっと葉巻を1日1本吸ってきた。
「何でそんなに元気なんだ?」との問いには、いつもこう答えた。
「何に対しても、悪口を言ったり、罵ったりしないこと。何に対しても。恋愛に対してもね」
彼がミュージシャンとしてブレイクしたのは、何と、90歳のときです。
映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』にも出演しているので、ご存知の方もいることでしょう。
「本当に大事なことは、ほとんどいつも思いがけなく起こるもんだ。
夢に見てた好機、成功、愛…そんなものがいつ訪れるかなんて、誰にも分からないものさ。
でも、準備して油断せずに気を配ってなきゃいけない。
そういった流れは、普通、二度は現れないからさ」
アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は97年度のグラミー賞を受賞。
2000年の初来日では、東京、大阪など7ステージを行い大盛況でした。
パリのオリンピア、ニューヨークのカーネギーホール、ロンドン、マドリッドなど、彼は世界中へ飛んだ。
90歳を過ぎて世界をかけめぐったコンパイ・セグンド。
残念ながら、彼は2003年7月に95歳で亡くなっているのですが、亡くなった年の夏にも、ヨーロッパでのコンサートが計画されていました。
彼が生まれたのは1907年。
日本でいえば日露戦争後の頃。
10代の頃から歌をつくっていたが、キューバ革命で政治体制が変わり、彼の音楽は資本主義の遺物と見なされて表舞台に出ることはなくなった。
そして彼は葉巻屋で働きます。
17年間、1日も休むことなく…。
そして!
その間、音楽もやめなかった。
その後、長年貢献した葉巻屋を辞め、彼は再び音楽に専念し、表舞台に復帰するのは82歳のとき。
そしてその8年後、90歳で突然のブレイク。
90歳を超えてからも、コンパイは毎日必ず2時間練習していたそうです。
90歳を超えてなお、準備して油断せず気を配っていた。
90歳を超えてなお、まだまだうまくなりたかった。
90歳を超えてなお、女性を愛し続けた。
彼は音楽をずっとずっと愛してきたのです。
彼は人生をずっとずっと愛してきたのです。
愛するとは、そこに実直なまでに命(時間)を捧げることです。
「私は、私の歌を聴きにきてくれる聴衆の表情を見るのが好きだ。
彼らの前でこの歌を歌うとき、まるで制しきれない火のように、彼らの間に幸せと楽しい気分が広がっていくように見えるんだ。
それは純粋な火だよ」
社会がどう変わろうと関係ない。
そして、何に対しても、悪口を言わない。
そんな暇があるなら恋をする。
コンパイ、いつもスーツにパナマ帽。
ときには葉巻をくわえて。
人生は何て美しいんだ。
とても悪口なんて言っている暇などない。
もし、彼が若い頃に、未来を正確に見通せる占い師に見てもらっていたら、やる気を失っていたことでしょう。
「あなたがブレイクするのは、死ぬ直前、90歳を超えてからです」
そう言われてもこれっぽっちもうれしくないですよね?(笑)
人生って、先が見えないから楽しいんだ。
先が見えないからドキドキするんだ。
そして、人生って、うまくいかないから面白いんだ。
思うようにいかないから飽きないんです。
「私の人生にも花が咲きました。
誰にでも人生の花が咲くチャンスはあるんです。
それは仕事かもしれないし恋愛かもしれない。
遅かれ早かれ誰のもとにも来るんです。
私はもう老人ですが、ようやく花が届きました」(コンパイ・セグンド)
『絶望は神さまからの贈りもの』SB Creative
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松原耕二氏はこう語る。
『あなたが80歳を過ぎたとしよう。
残りの人生についてどんな風に考えるだろうか。
おそらく、あなたはすでに一線を退いているだろうし、先に旅立っている同級生もいるだろう。
そろそろ自分も店じまいの時が近づいた。
大抵の人はそんな風に思うのではないだろうか。
ところが「店じまい」どころか、80歳を過ぎてから「店開き」をし、93歳のいま人生最良のときを迎えている男がいる。
キューバのミュージシャン、コンパイ・セグンド。世界でヒットした映画《ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ》に出演した最長老だ。
「チェ・ゲバラもカストロも僕より年下だよ。だけどカストロは僕より老けて見えるけどね」
コンパイはそう言ってにやりと笑った。
黒のスーツにグレーのパナマ帽という出で立ち。
《ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ》の中で彼は言う。
「人生で大切なものは、女と花とロマンス。私は今も現役だ。子供は5人いるが、いま6人目をつくっている」
映画を観た人みなが驚いたこの告白は本当なのか。
確かめるとコンパイはあっさり答えた。
「いま私の彼女は40歳。6人目をキューバでつくります」
え、40歳ですか。
私は思わず声を上げた。
本当なら彼女は半世紀も若いということか。
私の反応を楽しむかのように、彼は煙をくゆらせてウインクした。』(ほぼ日刊イトイ新聞)より
貧しい農家に生まれたモーゼスは、働き詰めだったが、晩年にリハビリをかねて油絵を描き始めた。
実に、76歳という遅いスタートだった。
その3年後、ひとりのコレクターがその絵に注目し、80歳で個展を開く。
それをきっかけとして一躍有名になり、89歳の時にはトルーマン大統領にホワイトハウスにまで招待された。
101歳で死去するまで1600点の作品を残したという。
人生、遅咲きの人は世界には数多く存在する。
自分の夢を信じ、コツコツと努力を重ねてきた人たちだ。
「本当に大事なことは、ほとんどいつも思いがけなく起こる」
日々の準備を怠りなく…
チャンスを見逃さない人でありたい。
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😊😊😊
次々に訪れる四季折々の窓の外🤓
まもなく春ですね~😉
今日も、ありがとうございました🙏